南牧村の壬申地券地引絵図

現在「道の駅オアシスなんもく」の休憩所では、史料展示「明治初期の南牧村 ~壬申地券地引絵図の世界~」が開催されています。展示期間は11月15日までで、道の駅の営業時間内(9時~17時、火曜定休)であれば自由に見学できます。(主催は南牧歴史研究会)

「壬申地券地引絵図」とは、明治5年(1872)に明治政府が、土地の所有関係を明確にするため各町村に命じて作らせた絵図のこと。私も今回の展示に関わって初めて知りました。

明治4年(1871)に廃藩置県が行われて群馬県が誕生しましたが、翌5年に後の市町村制に繋がる大区小区制が発布。群馬県には22の大区と、247の小区が設定されました。これに伴い明治政府は、土地の所有権を証明する「地券」を発行するため、各町村に土地の調査を命じました。各地域では、区画ごとの土地について地番や地目(田・畑・宅地など)、面積、所有者などを調べ、絵図として記録しました。明治5年は干支の「壬申(じんしん)」に当たることから、これらの絵図は「壬申地券地引絵図」と呼ばれています。
群馬県には、この「壬申地券地引絵図」がほぼ原形のまま多く残されています。群馬県立文書館には約1,200枚に及ぶ絵図がマイクロフィルムの状態で残されており、国指定重要文化財に指定されています。ただし、県内すべての町村のものが現存するわけではありません。

今回展示しているのは、明治初期の南牧村の土地利用状況が記録された絵図6枚。村内の収集家が文書館に何度も通って複写し、切り貼りして一枚の地図にまとめたものです。明治の大合併以前の南牧村は12の村(※)に分かれていましたが、そのうち6村の絵図になります。600分の1の縮尺で作られており、実物は縦横数メートルの大きさだったそうです。原図を縮小コピーした展示品の文字はとても小さいので、会場に置かれているルーペで見ることをお勧めします。

※羽沢村、砥沢村、星尾村、熊倉村、大日向村、大仁田村、六車村、磐戸村、小沢村、大塩沢村、千原村、檜沢村。明治21年に公布された市制町村制公布に伴い、翌22年4月1日に、尾沢村(羽沢村、砥沢村、星尾村、熊倉村が合併)、月形村(大日向村、大仁田村、六車村が合併)、磐戸村(磐戸村、小沢村、大塩沢村、千原村、檜沢村が合併)の3村に再編された。(いわゆる明治の大合併)

展示会場(「道の駅オアシスなんもく」の休憩所)

絵図をよく見ると、屋敷、田んぼ、道、山、川などが別の色で彩色されています。個々の村人の所有地が線で囲われているため一つひとつの土地の形がよく分かり、地積(広さ)、地目(用途。水田や畑など)、所有者の名前が記されています。当時と今とを比べると道路の位置は変わりましたが、畑、川、集落の配置は大きく変わっていません。当時の耕作地が山奥まで広がっていたり、神社が多く見られるなど、明治初期の景観を知る手がかりになりそうです。

私が住む星尾地区(当時の星尾村)の絵図
私が住む集落付近を拡大。今も残る「石井」「飯野」といった苗字が読み取れる。
各絵図には、戸長と立会人の名前が記されている
土地の区分が色分けされているので、現在と照合しやすい

南牧村の絵図には今回展示した6枚のほか、大日向村、大仁田村、熊倉村、六車村、砥沢村の5枚を合わせた計11枚の地図が現存し、群馬県立文書館に保存されています(大塩沢村のみ欠損)。今後、南牧歴史研究会では残る5枚の絵図を収集・整理し、明治初期の南牧村の姿を明らかにする予定です。その際は今回と同様の展示会を開催し、公開させていただきます。(以上)

※壬申地券地引絵図の解説については、群馬県立文書館のホームページを参考にさせていただきました。