村内の磐戸地区で2019年まで行われていた磐戸祭り。コロナ禍を機に途絶えていた祭りが本年、久々に開催されました。祭り復活に至った経緯とプロセス、開催した感想などを、祭りを主催した「磐戸わっしょい」代表の茂木理紗(もてきりさ)さんと事務局の大井川聖心(おおいがわさとみ)さんに聞きました。

9月12日、磐戸地区で「磐戸祭り」が7年ぶりに開催されました。当日は昼過ぎに磐戸神社で神事が催された後、夕方から村の子供たちや住民、学生ボランティアによる山車が、地区内を2回練り歩きました。夜には大人神輿祭りが行われ、暗くなってからも多くの参加者の皆様と見物者で賑わいました。(実際の祭りの様子は、以下の写真と動画をご覧ください)






そんな祭りを復活に導いたのが、今年新設された任意団体「磐戸わっしょい」です。代表の茂木理紗さん(村の出張美容師)と、事務局の大井川聖心さん(南牧村移住コーディネーター)に、復活までの舞台裏を聞かせてもらいました。
祭りの実行組織「磐戸わっしょい」を設立
ーまず、祭り復活の経緯から聞かせてください。
茂木 私は2024年に東京から故郷の磐戸にUターンしたのですが、昨年、お祭りがなくなったと聞いて衝撃を受けたんです。聞けば、高齢化による担い手不足で、コロナ禍を機に中止したとのこと。せっかく素敵な山車と神輿があるのにやらないのはもったいない、またお祭りをやりたいなと思ったのが始まりです。ちょうどその頃に大井川さんの髪を切らせていただく機会があり、「磐戸祭りをやりたいんだよね」と私が言ったら大井川さんも「日本のお祭りに参加したことがないから、お囃子をやってみたい」と、初対面だったのに意気投合して盛り上がったんです。
大井川 私は東京の団地育ちなので、地元でお祭りはあっても、いつも見る側でした。地元出身の子たちがやっているのを見て「かっこいいな」と憧れましたが、「自分は対象者ではない」と諦めていたんです。それが、4年前に南牧村に移住してから藤岡市鬼石の夏祭りや下仁田の秋祭りを見て、「祭りに参加したい」と思っていたところでした。
ー復活に向けて、まずはどんなアクションを取ったのですか。
茂木 まず祭りに対する地元の方々の感触をつかもうと思い、昨年9月に開催された磐戸神社の例大祭に大井川さんと参加しました。祭りは無くなっても神事だけは続いていたんです。そこで地元の方々に「お祭りやりたいな」と言ったら、直会でお酒が入っていたこともあったのか「来年は山車を出そう!」と盛り上がって。
ー地元の方々も、諦めていたわけではなかったんですね。
茂木 てっきり「もうやらない」と言われるかと思ったら意外と好印象で、いけそうな雰囲気を感じたんです。氏子総代さんからも、祭りの実行委員会のような組織があれば自分たちも応援しやすいという話をいただきました。
ーつまり、祭りで大変な準備作業を担う組織があればということですね。
茂木 はい。今までは磐戸区民が持ち回りでやっていた大変な作業を「私が組織を立ち上げて担います」と言って、お祭りを復活させることにしたんです。磐戸の皆さん、磐戸神社の氏子さんたち、私たち磐戸わっしょいがどのようにお祭りに携わっていくのか何回も会って話し、実施の方向に持っていきました。
ー昨年の例大祭から1年越しですね。
茂木 本格的に動き始めたのは、今年の4月に入ってからです。4月初めの区長会議に父が出ていたので、「うちの娘がお祭りの実行委員会を立ち上げたいと言っている。協力できる方はお願いします」と話をしてくれました。それを機に私が「今年復活させる運びで動いています」と関係者に挨拶をして回りました。
ー関係者に話をしたうえで、組織のメンバーを募ったのですか?
茂木 はい。まずは磐戸の代表区長さん、氏子総代さん、これまで運営してきた方々、中心になって協力してくれそうな方などに声をかけ、会議を開催しました。そこで、実行委員会立ち上げの賛同を得ました。「磐戸わっしょい」という組織名も、その場で決まったんです。
ーメンバーは何人くらい集まりましたか?
茂木 最初の会議には10〜15人が集まりましたが、そこからメンバーが絞られていって、最終的に数名がコアメンバーになってくれました。あとは、祭りに興味がありそうな人や子どもの頃にお祭りをやっていた人に「磐戸わっしょいに入らない?」と私が直接声をかけ、増やしていきました。
ー声をかけたら、やりたい人が意外といたのですね。
茂木 なくなったのは仕方ないけど、やるなら協力する、という人が多かったと思います。最初のきっかけさえあれば、みんなお祭りをやりたかったんです。でもメンバーのやる気だけでは組織は動かず、言い出しっぺの私と大井川さんが率先して動かないといけませんでした。
ー大井川さんは磐戸在住ではありませんが、やりづらさはなかったですか。
大井川 特になかったです。最初の顔合わせの会議で、理紗さんが「これまでは磐戸区民だけでやってきたけれど、これからは区の垣根を越えて開催しませんか」と提案してくれたんです。今は人口減少で磐戸だけでは無理だということは皆わかっています。むしろ「やってくれるならありがたい」と任せていただけました。
祭りの実行を後押しした宮司の支援と学生ボランティア
ー準備を進める上では、誰かにアドバイスを受けたのですか?
茂木 私は子供の頃に祭りに参加していたので、割と記憶がありました。なので、何を準備すればいいかを考えながら手探りで動きました。幸い、困ったときに相談できる方々が近所に何名かいたので、相談や確認を取りながら進めていきました。
ー作業は2人で分担して進めたのですか?
茂木 私は割と時間に余裕があったので、なんもく学園、保健所、警察署、JA、役場などの関係機関に、祭りを開催する話をして回りました。移住コーディネーターとして役場と関わりの多い大井川さんには、主に事務書類の作成をお願いしたり、道具や備品の貸出を申請してもらいました。
大井川 今回は2人が受け持つ作業のバランスが、とてもよかったと思います。事務書類の作成や行政との調整は私が担当し、理紗さんがその書類を持って動いてくれたので、作業が進めやすかったです。
茂木 今年は祭り復活の1年目なので、まずは山車を出してお囃子をやることを目標に掲げました。当初は山車を公道に出さないはずでしたが、私は山車と言えば道路を練り歩くものだと思っており、どうしても公道に山車を出したくて、そこは押し通しました。(笑)
ー準備を進める中で、否定的な意見は聞きましたか?
大井川 私のところには「本当に大丈夫なの?」といった慎重派からの意見が多く寄せられました。地元の方々も最初の頃は全員が賛成ではなかったと思います。ただ準備が進み開催の目途が立ってきたら、応援の声もいただくようになりました。
ー2人が率先して動いたからこそ、祭りに対する住民の受け止め方も変わってきた気がします。ただ、苦労はあったのではないですか?
大井川 公道でお祭りをやるとなれば行政の協力が必要ですが、最初はどんな手続きが必要なのか全く分からなかったんです。なので行政と一緒に働いている立場を活かし、業務の途中でさりげなく役場の方々に聞いて一つひとつ教えてもらいました。
ー行政の手を借りずに民間主導で進めたことも大きかったのではないですか?
大井川 たぶんそうだと思います。私たちが主導したからこそ、ある程度自由に動けたし、進めることができました。全て私たちでやり遂げたことで、大きな達成感もありました。
茂木 もう一つ、磐戸神社の宮司さんの応援も大きかったですね。4月に「磐戸わっしょい」を立ち上げた直後に、氏子総代さんと3人で、磐戸神社を統括する中之嶽神社の宮司さんへ挨拶に行ったんです。組織を立ち上げたことを報告したら、「今の時代はおじいちゃんたちに任せていたらダメ!若い女の子たちが時代を作っていくんだから!!」と応援のお言葉をいただきました。ちょうど宮司さんは南牧村の神社を受け持ったばかりで御朱印の制作も企画していたので、タイミングが良かったんです。それと、金銭面でも支えてくださいました。ご自身の支援のほか、神社庁に過疎地域のお祭り補助金を申請してくださったんです。
ー祭りの開催にあたっては、何にお金がかかりましたか?
茂木 主な支出は、お祭り運営にご協力いただいた方々、学生ボランティアへのお弁当と楽器の買い足しです。実は村内で催されたカラオケ大会に出た時に大学生たちがお手伝いに来ていたので、「今年7年ぶりにお祭りを復活させるんだけど、お手伝いに来ない?」と声をかけたら、「行きます」と言ってくれたんです。
大井川 その大学生は、学生ボランティア団体「IVUSA(イビューサ)」に属していて、県内を中心に総勢26人を集めてくれました。
ーお祭りには大勢の若者が参加していて驚きました。
茂木 声はかけましたが、そんなに来てくれるとは思っていなかったので、私もびっくりしました。祭りの規模も思いのほか拡大したので、南牧村役場、なんもく村観光協会、磐戸神社の3団体に後援に入ってもらいました。お囃子の笛も足りなくなったので、村長に直談判して楽器を買い足してもらいました。
ーお囃子の練習はどれくらいやったのですか?
茂木 計6回です。最初に磐戸祭りのお囃子ができる人を探しましたが、覚えている人がいなかったんです。これは困ったなと思っていたら、私の美容師の先輩が下仁田のお祭りでお囃子をやっていたことを思い出したので、個人レッスンをお願いしました。篠笛の吹き方を教えていただいたほか、私がかつて撮影していた動画から先生に耳コピで、小太鼓、大太鼓、鉦のリズムを復元してもらいました。私は電子ピアノで笛のメロディーを復元して、各楽器の楽譜を作成しました。それをもとに5月から7月まで月に1回、まずは私が先生にお囃子を習いました。そこから今度は私が主要メンバー数名に教え、そのメンバーが子どもたちに教えるという手順を踏んだんです。
ー祭りを見ていてお囃子がきれいに揃っていたので、相当練習したんだなと感じました。それ以外に準備で気を遣った点はありましたか?
茂木 地元でトラブルは起こしたくなかったので、住民への情報共有には気を遣いました。7月の村の広報誌には、大井川さんに「お神輿の担ぎ手募集」のチラシを作ってもらって入れたのですが、その前に磐戸の住民には回覧板でお知らせしました。それと、駐車場やトイレ、太鼓などの保管場所など、祭りに伴う許諾は、全部私が動いて許可を取りました。
大井川 4月に組織を立ち上げて9月にお祭りなので、月1回の会議では、ものすごい量の報告をしていましたね。
ーやはり準備は簡単ではなかったんですね。
大井川 役割分担をして進める場合ではなく、2人がメインでどんどん動かないと、絶対にできなかったと思います。準備の終盤では、「今日私はこれをやりました、これをお願いします、確認お願いします」と、深夜まで2人で報告し合っていましたね。
反響がすごかった祭りの復活
ー祭りの当日は、大きな失敗などはありませんでしたか?
大井川 なかったんです。私は絶対に何かが起きると思っていたんですが、何も起きなくて大成功でした。怪我もなく、事故もなく、雨にも降られず。
茂木 私たちの思いが神様に通じたんだなと思いました。これも、祭りの開催に向けて頑張ってくれた全ての方々のおかげです。
ー山車には、茂木さんや大井川さんも乗りましたね。
茂木 1回目も2回目も、私と大井川さんが交代しながら乗りました。お囃子の先生からは「同年代の子供たち3人で1組がいいよ」と言われていましたが、今年はみんな初めてで不安でしたので、小学1年生の2人には私が付いてサポートしました。本来の磐戸祭りの山車は子どもたちがメインだったのですが、村の子どもの人数もだいぶ少なくなってきているので、これからは大人たちも積極的にお囃子に参加できればと思っています。
ー主催者が表に出ていて、すごく良かったと思います。
茂木 主催した私たちも、超楽しかったです!そもそも私たちがお囃子をやりたくて、「お祭りやりたい!!」と言い出したので、夢が叶いました。
大井川 なんもく学園の子供たちも半数が山車に乗ってくれて、とても楽しそうだったのが印象的でした。
ー住民の方々の評判はいかがでしたか?
茂木 とにかく反響がすごくて、多くの方々から「お祭りすごかったね」「すごく良かったよ」と言われました。参加していない方にも情報が伝わったようで、「大盛況でよかったね」と言われ嬉しく思いました。
大井川 学生にとっても、地元の方々と交流できたのが楽しかったようで、終了後には「来年もよろしくお願いします」とお願いされました。山車の綱を引いている間も、地元の方々や子どもたちと一体で動いていたので、祭りに溶け込んでいるなと感じました。
ー最終的な収支はどうでしたか?
茂木 収入としては、10万円の地域づくり補助金と楽器代の補助、磐戸神社からの協賛金、宮司さんのお祝い金、神社庁からの補助金、それと磐戸住民や村民からのお祝い金や寄付金などが入り、何とかプラスになりました。それに、祭り当日にはお賽銭もいただきました。子どもたちが山車と一緒にお賽銭箱を持って歩くと、地元の方々がお札を入れてくれたんです。
ー地元の方々も大勢が外に出ていましたし、地元の重鎮と呼ばれるような方々もすごく盛り上がっていたのが印象的でした。やはり祭りが復活して嬉しかったんだと思います。
茂木 私が髪を切っているお客さまでご年配の方が結構いるんですが、わざわざ家から出て見に来てくれたんです!山車で家の前を通る時に「もうね、嬉しくて涙が出たよ」と話してくださいました。
ー私も別件で宮司さんと話す機会がありましたが、磐戸祭りは伝統行事復活の理想だと話していましたよ。最後に、来年に向けての抱負を聞かせてください。
茂木 来年は磐戸地区の沿道に提灯を飾り、祭りの雰囲気を盛り上げたいと思います。あとは磐戸だけでなく、村民や村外の方々が気軽に楽しめる参加型の祭りにしたいです。
大井川 今回は民間主導で実施しましたが、来年は役場の職員さんにもお祭りの雰囲気を感じに、ぜひ参加してほしいと思っています。村が一体となって盛り上げられる祭りになるといいですね。
ーどうもありがとうございました。来年の祭りも楽しみです。(以上)









