2023年に東京から南牧村に移住した横澤厚志さん。災害支援ボランティアに関わりながら新規就農をめざしていましたが、2024年元旦に発生した能登半島地震以降は被災地での災害支援活動に専念。ついに本年は、南牧村に活動拠点を置くボランティア団体を設立しました。立ち上げた目的や思い、今後の抱負を聞きました。

群馬で発生した災害を支援するボランティア団体を設立
ーまず、設立したボランティア団体の概要からお聞かせください。
横澤 名称は「災害支援 一燈(いっとう)なんもく」です。私が所有する重機やダンプを活用して災害支援を行うボランティア団体で、今年の1月1日に設立しました。代表者は私で、メンバーは副代表が2名、会計、監査人が各1名ですが、それ以外にも活動に協力してくれる仲間が群馬県内に20名ほどいます。
ー名称に「なんもく」を付けましたね。
横澤 南牧村で立ち上げ、南牧村を拠点に活動することをアピールしたかったんです。メンバーも、村で日頃お世話になっている方々にお願いしました。活動拠点となる建屋も、役場付近の元消防署をお借りできました。災害支援に相応しい拠点を構えることができて、関係者には感謝しています。
ー設立した目的を教えてください。
横澤 大きく2つあります。1つは群馬県、特にこの西毛地区で広域災害が起きた時に出動して支援活動を行うこと。もう1つは災害支援に関する講習会に関わりながら、ボランティアの仲間を募ることです。
ーもともと横澤さんはボランティア団体に属し、能登半島地震をはじめとする広域災害を支援されてきました。なぜ今回独立したのですか?
横澤 これまで私は幾つかのボランティア団体に所属して広域災害の支援に携わってきましたが、群馬で災害が発生した時に出動できる組織を作りたかったんです。近隣で災害が発生時には、群馬や関東圏のボランティア団体と連携しながら活動する予定です。
ー現在は、どのような活動をされていますか?
横澤 災害支援の講習会を開催する準備を進めています。災害支援に関心がある一般の方々が対象ですが、まずは社協の職員や消防士に向けて、重機の運転やチェーンソーの取り扱い、ボランティアセンターの開設方法などを教える講習会を開く予定です。今はその前段階として、群馬県社協、赤い羽根共同募金、日本財団、あと群馬県藤岡市を拠点に活動している「群馬藤岡災害ボランティアサークル」とも連携しながら県内の災害支援ネットワーク作りを進めています。
ー災害発生時の活動母体を群馬で作っているのですね。
横澤 群馬県は他の地域と比べて災害が少ないため、災害発生時におけるボランティア活動の知識やノウハウの蓄積が進んでいません。なので、災害発生時に各団体がどのように連携して活動できるかを話し合っているところです。
ー講習会などの活動は、どこが主体となって進めていますか?
横澤 いまは群馬県社協、日本財団、藤岡災害ボランティアサークルの3者が主体で進めています。既に5月には講習会の日程が幾つか決まっていて、以降も月に一度のペースで開催していく予定です。私も中心メンバーの一人として会議には毎回参加し、講習会でも重機を操作する予定です。
転機になった能登半島地震
ー次に横澤さんご自身について伺います。災害支援に取り組み始めたのは、いつ頃からですか?
横澤 東日本大震災のボランティアに参加したのが最初です。当初は休日に参加するくらいでしたが、2018年に発生した西日本豪雨からはボランティア団体に属し、長期にわたり災害支援に関わるようになりました。
ー南牧村へ移住した理由をお聞かせください。
横澤 もともと私は東京で飲食店を経営していましたが、50歳で経営を後継者に引き継ぎ、安心して食べられるものを生産する農家になろうと決めていました。ただ経営から完全に離れるのは難しかったので、東京にアクセスしやすい群馬、埼玉、山梨、静岡の山間部で、田んぼか畑を借りられる移住先を探していたんです。そのなかで、最も早く物件が決まったのが南牧村砥沢にある今の家でした。予定では50歳になる2020年に移住するはずでしたが、コロナ渦で仕事を辞めるに辞められず、3年ほど遅れました。
ー移住してから本格的に農業を始めたのですか?
横澤 2023年2月に南牧へ移住し、農家の仕事を手伝いながら勉強をさせてもらいました。農地も決まり、トラクターも買って本格的に始めようとした矢先に、能登半島地震が発生したんです。
ー能登にはどれくらいの期間、滞在したのですか?
横澤 2024年1月に能登に入り、昨年の7月半ばまで能登で災害支援をしていました。当初は農閑期の冬場だけ作業する予定でしたが、甚大な被害状況を見て、腰を据えて活動しないと復旧が進まないと思い、活動期間を何度も延長しました。
ー被災地では、どのような活動をされていたのでしょう。
横澤 昼は被災地に出向いて土砂や瓦礫(がれき)の撤去や運搬、倒壊した家屋の片付けなどに追われ、夜は車中泊する日々が続きました。9月には豪雨災害も発生して被害が拡大し、ますます現場から離れられなくなりました。それと山形県や鹿児島県で発生した豪雨災害の支援にも行きましたので、結果として長期滞在するに至りました。そんな被災地を奔走する日々のなかで、日本の防災に真剣に向き合いたいとの思いが芽生え、災害支援に本格的に関わろうと決心したんです。



首都直下型地震への対応も課題
ー1年半に及んだ能登での経験を、どのように活かしていきますか?
横澤 能登では被災地が直面するあらゆる課題に直面しましたので、災害発生時に必要なノウハウや情報は提供できます。あとは人材ですね。群馬は災害が比較的少ない県ですが、山林火災は発生していますし、線状降水帯が停滞すれば土砂災害が起こります。ひとたび災害が発生すれば、重機の運転はもちろん、ボランティアの募集や避難者への心のケアなど、多様なスキルを有したボランティアが必要です。そうした方々が仲間にいますので、呼びかければ集められると思います。
ー取り組む課題は多いと思いますが、一つ挙げるとしたら何がありますか?
横澤 首都直下型地震への対応ですね。もし首都圏で大地震が発生した時は、交通の要衝である群馬は確実に前線基地になります。前線基地の役割は大きく2つあって、1つは災害復旧の拠点、もう1つは避難者の受け入れです。首都圏と平野部で接し、鉄道と高速が北陸や東北方面と通じている群馬は避難者を受け入れやすく、各方面からの支援物資や人材を受け入れやすい立地です。その想定も考えていきたいですね。
ー最後に、南牧村に移住した感想はいかがですか?
横澤 南牧に移住したのは偶然ですが、今は来て良かったと思っています。それは、災害支援に関わるなかで、過疎や高齢化の問題を目の当たりにしたからです。南牧村が高齢化率で日本一というのも移住後に知りましたが、そうした課題に直面している地域で暮らせるのは私にとって理想ですし、活動拠点を構えられたことに意義を感じています。
取材を終えて
これまで被災地へのボランティアツアーには何度か参加したことがありますが、災害支援ボランティアの役割や仕組みについては今回の取材で初めて理解できた気がします。取材の中で横澤さんが「災害支援は覚悟を決めた人間にしかできない」と語っていたのが印象的で、農業から災害支援に転じたことへの並々ならぬ覚悟を感じました。(以上)









