本年、南牧歴史研究会では全7種類の御城印と御祭印を制作し、6月に開催された群馬戦国御城印サミット、8月に開催された火祭り「大日向の火とぼし」の各会場で販売しました。8月23日(日)からは「道の駅オアシスなんもく」で常時販売しています。そこで、本年制作した御城印・御祭印を、城の解説付きで紹介します。

南牧歴史研究会は、2024年に設立された村民有志によるサークルです。普段は郷土史の調査やフィールドワークを行っていますが、昨年からは歴史を通じて南牧村をアピールするため、御城印の制作・販売を始めました。本年はラインアップを拡充し、全7種類を以下の2シリーズで展開しています。

南牧谷の山城シリーズ(5種類)
戦国時代の南牧村(南牧谷)は、余地峠、星尾峠、田口峠を経て信州・佐久に至る街道や間道が通じる交通の要衝でした。南牧谷には南牧六人衆(※)と呼ばれる国衆(地侍集団)が土着し、上州砥石の特産地であった砥沢集落の砥山と、峠の番人としての交通機能とを一元管理していたことが今に伝わっています。そのため谷あいには複数の山城が築かれ、上信国境への睨みを利かせていました。武田信玄が上州攻めの拠点にしたと言われる砥沢城を中核に、熊倉城、星尾城、小沢城などの外郭城塞、羽沢城、笹の平城などの繋ぎの城、大塩沢城、布山城などの通信砦などが配され、谷全体が要塞の機能を持つ「地域城」の性格を持っていたと思われます。
そこで本年からは、かつて南牧谷に築かれた山城(南牧10城)のPRを目的に「山城シリーズ」と称する御城印の制作を始め、まずは地域上の形成で重要な役割を果たした5城を発売しました。御城印のデザインは各山城のシルエットと城主の家紋を背景に、城の特徴を記した一文を配しました。また、城名等の文字は、富岡市の書家・横尾隆雲氏にご揮毫いただきました。
以下、各山城の場所と歴史を紹介します。現在、各山城に至る道はありませんので要注意です。
※ 南牧六人衆:小沢源十郎行重、市河四郎衛門重久、市河四郎兵衛貞吉、懸河彦八郎直重、高橋左近助重行、市河兵庫助景吉。永禄4年(1561)、武田信玄が余地峠を越えて上州へ侵攻した際は武田軍に加勢し、勝利に導いた。信濃・上野の武将たちが信玄への忠誠の証として信州上田の生島足島神社へ奉納した起請文(血判状)の中には、南牧六人衆の名が見られる。
小沢城 ~小幡氏と南牧衆を繋ぐ山城~
南牧六人衆の小澤源十郎行重が永禄元年(1558)に築城。南牧谷の入口を防御する山城で、小幡氏の居城であった下仁田の鷹ノ巣城と通信する狼煙台として機能していました。小澤氏は行重の祖父までが小幡一族で、小幡氏との関係が強い家柄です。そのため武田氏滅亡後、秀吉の小田原城攻めで上杉景勝軍が関東を南下した際、砥沢城は上杉軍と和議を成立させましたが、小沢城の行重は最後まで防戦し、落城した歴史があります。

笹の平城 ~南牧衆が奪還した火とぼしの城~
小幡氏14代の小幡顕高が磐戸在住の高橋氏に命じ、南牧川と檜沢川の合流点の抑えとして大永年間(1521~1528)に築城。以来、高橋氏が城主を継承します。一時期、小幡氏の内紛により城を奪われますが、高橋左近助重行ほか南牧衆は、永禄4年(1561)に余地峠を越えて上州に侵攻した武田軍に加勢。先鋒隊として夜襲をかけ、笹の平城を奪還しました。その勝者の喜びを伝承しているのが”火とぼし”と伝えられています。

砥沢城 ~武田信玄上州攻略の橋頭堡~
南牧谷の山城の主城。城主は、南牧六人衆の市河四郎衛門重久です。天文22年(1553)、国峯城の城主であった小幡憲重と信実の父子は内紛で城を追われ、信濃に在陣していた武田信玄に庇護を求めました。永禄4年(1561)、信玄は小幡父子の先導により上信国境の余地峠を越え上州へ侵攻、笹の平城で緒戦を飾ります。砥沢城はその拠点となり、以後、国峯城奪還、箕輪城攻略など西上州侵攻の橋頭堡となりました。

羽沢城 ~合戦の要衝に建つ館跡~
南牧川主流と星尾川の合流点を守る崖城として、天文年間(1532~1555)に砥沢城から分城。城主は南牧六人衆の市河四郎兵衛貞吉で、長篠の合戦では小幡軍赤備えの騎馬軍団として出陣しました。要衝守備の任だけでなく、星尾城や熊倉城への補給のための繋ぎの城としての役割を果たしたと伝わっています。江戸期には、信濃の佐久で五郎兵衛新田を開いた市川五郎兵衛真親の屋敷となりました。

星尾城 ~北の峠道を睨む物見砦~
南北朝時代に甲斐を追われた市河右近ノ四郎義継が築城。戦国時代には砥沢城の支城として市河氏の居城となり、戦国末期まで郷卒が配置されていました。信濃との境である星尾峠と上州へ抜ける木々岩峠を結ぶ間道を睨み、南牧谷の北の抑えとしての役割を果たした城です。なお、星尾の一族である掛川氏の家紋を御城印に付していますが、南牧衆の一人である懸河彦八郎直重との関係は定かではありません。但し、塩沢城主の懸川道丹が星尾峠を経て信濃の諸豪と通じていたことが、今に伝わっています。

武田信玄と火とぼしシリーズ(2種類)
昨年に続き、大日向集落に伝承される先祖供養の火まつり「大日向の火とぼし」の由来となった武田信玄の上州侵攻にまつわる御城印と御祭印を発売しました。昨年からデザインを変えていますが(武田信玄のイラストなど)、コンセプトは同じです。詳しくは、昨年のブログをご覧ください。

今後の計画
来年は、南牧10城のうち残りの5城(熊倉城、布山城、山仲城、塩沢城、高原城)の御城印の制作・発売を計画しています。南牧村の山城の調査・研究は緒に就いた段階で、山城に至る道がないことも残念ですが、今後も南牧村の歴史の調査・研究を南牧村のPRにつなげていきたいと思います。(以上)
〈参考文献〉
・市川太平『南牧谷戦国史』南牧郷土研究会 2011
・梁瀬大輔『上野の戦国地侍』みやま文庫 2013


